· 

観察するということ

 

蝶を描き終える頃、実は少し気持ちが萎えていたのでした。

 

わたしが現在描く対象にしているのは、標本です。

当然、体に針がささっています。

描くために観察するには、美しい発見もたくさんするけれど

見たくない傷口も何度も見ることになります。

 

生きている時とは

体も変わってくるし、眼も変わるそうです。

 

拡大した画像を見たり

顕微鏡で観察を続けているとさすがに痛々しくなってきました。

 

生きていた頃の体に近い状態に修復して描きたいと思い

生きている蝶を撮影した画像も探し始めました。

 

生きている蝶の画像や映像を見れば見るほど、

標本となった蝶との違いを感じます。

 

標本のような角度から撮られた映像や画像はなかなかないので

本当の背の色はわからない、虚しさも感じます。

 

キラキラと美しい昆虫に心惹かれ選んだトンボや蝶だったことは確かなのですが

非日常的な美しさが、まるでオブジェかのように

わたしを錯覚させてくれていたのかもしれません。

というか、錯覚するために、そのような昆虫を選んでいたのかもしれません。

 

観察する中で、生きていた痕跡や、変容する体を目の当たりにすると

気持ちが複雑になってきました。

 

先日、再びスケッチラボを訪れ

参加者の昆虫好きの小学生の男の子が

自分で飼っているゾウムシを描いていました。

 

ほとんど動かない虫なので、手の平にのせてもらいました。

ゾウムシの肢(あし)が “キュッ” と手の平をつかんでくる感覚に

なんとなくあたたかい気持ちになりました。

 

その時は理由がわからなかったけれど

今思えば、生きているものに触れた

安堵感だったのかもしれません。

 

新たに、クワガタとタマムシを観察してきました。

 

大切に描きたいと思います。

 

 

2018.9.1